会いたかったな。

2015.08.30

久しぶりに泣いた。目を開けるのが重い。
会いたいと思った時には会いに行かなきゃだめなんだな。
報告したいことたくさんあったのにな。
会いたかったな。
やっとご挨拶に行けると思いお電話をして、
10日程前になくなったことを知る。
虫の知らせってこういうことをいうのかな。
でもそれだったらその時に連絡とってれば
もう一度会えたかもしれないのに…。
小学5年から大学2年まで通った絵画教室。
あまりにも自分にとって聖域すぎて、
卒業してからアトリエに伺うことができなかった。
ばかだなぁ。
先生は顔見せるだけでも喜んでくれたと
今だったらわかるのに。
昨日から些細なことがポツポツ浮かんではギュッとなる。
パイプにたばこを詰める仕草。
北向きの窓から入る光。
毛糸の帽子。
「見ること」「描くこと」についてのはなし。
声が聞きたいな。

Dining table of Jirka & Shofukuji

2015.08.01

 

ここ何年か、自分の中に生まれたものを、
なるべくすぐに外に出す、カタチにする、手放す。
ということを意識してきました。

手放すことで新たなことがスーッと染みこんできて、
入ってきたものどおしが、交じり合って撹拌して、
また新しいものを出していく。
そんな循環が気持ちよかったのだけれど、
ここのところ、「寝かす」「醸す」時間が必要なのではないか?と思い始めていました。

7月19日(日)に昌福寺 anuttaraさんで行われたイベント
「イエルカさん家のワインのある食卓」に参加する為山梨へ。
そして昌福寺さんで泊めさせていただいた一両日。
直感的にこのことは「醸す」時間がいるなと、
2週間たった今綴りはじめた次第です。

たぶん。
刹那で感じたことを言葉にすると、
言葉にした以外のことが消えてしまう。
曖昧なままに、静かに沈殿したいった澱と上澄みについて考える。
そんな時間が必要だったのだと思います。
丁度昨日見た、作家を追った映画での内藤礼さんの姿勢のように。

食べること。飲むこと。寝ること。人と関わること。
当たり前のことが、純度高くそこにあること。
それがすべて。
足し引き無くそこで充足する何か。

息をするように当たり前のこと、
毎日営まれている日々の暮らしが、
ある質量を持つこと。

光に敏感であること。
移ろいを肌で感じること。
暮らしの中の「光景」が美しくあること。

あぁ、そういうことなんだ。と、
腑に落ちる何かがあり、
少しだけやるべきことが見えた気がした。


 

 

山梨に行くと必ず立ち寄らせていただく、パタゴニアの南喫茶店 
驚く程美味しい手打ちのパスタ。居心地のよい空間。窓からの光。
WATER WATER CAMEL斎藤さんのお店。

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「イエルカさん家のワインのある食卓」
日暮れ時お店の中の光も刻々と変わり、グラスの輝きが増すごとに、
様々なワインの試飲が続く。泡、白、赤。
少し酔うごとに目の前の出来事がふわふわと一体になってくる。
供される食事も、設えられた空間も、
心地よいとは、とても優しくあれることだと思った。

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昌福寺さんの広い広い畳の間。
蚊帳を吊って眠ること。
暗い室内から見える夏の光の鮮やかさ。
帰途につく時の少し寂しい気持ち。

7月の2日間。
鮮明な大きなものをいただきました。

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